「自分が頑張ってるかわからない」
「頑張った気がしない」
「結果が出ない」
そう思うこと、ありますよね。
わたしも、何かに追われるように日々を過ごし、ふと「自分が頑張ってるかわからない」という感覚に襲われることがありました。
まわりを見れば、みんな頑張ってるのに自分は頑張ってないように感じ、頑張れているかわからない、頑張った気がしないと自己嫌悪に陥ってしまう。
あるいは、頑張ってるのに辛いだけで、一体何のために頑張っているかわからないと、心が道に迷ってしまうこともあります。
この記事では、そんなあなたのための新しい視点を提案します。
そもそも「頑張っていない人」など、この世に一人もいません。
生きている以上、誰でも頑張ってるんです。
そして、これ以上「頑張る」必要もありません。
大切なのは、苦しいだけの「頑張り」から、あなたが心から「楽しい」と思える方向へと、行動の舵を切ることです。
最後まで読んでもらえれば、そのための具体的な考え方がきっと見つかって、苦しい頑張りから卒業できます。
- 「頑張る」という感覚の正体と、その呪縛から自由になる方法
- 他人と比べず、自分の今の状態を肯定するための思考法
- 苦しい努力から、夢中になれる行動へとシフトするヒント
- あなただけの「楽しい」を見つけるための具体的な視点
「自分が頑張ってるかわからない」と感じる心理と原因
- そもそも努力と頑張るの違いは?
- 頑張れているかわからない、頑張った気がしない心理
- みんな頑張ってるのに自分は頑張ってないと感じる理由
- 頑張りたいのに頑張れない原因とは?
- なぜ頑張ってるのに辛いと感じてしまうのか
- 頑張ってるのに結果が出ないのはなぜか
そもそも努力と頑張るの違いは?
「頑張る」と「努力」、私たちはこれらの言葉を日常的に使いますが、その本当の意味を深く考えたことはあるでしょうか。
「自分が頑張ってるかわからない」という迷いの多くは、この二つの言葉を、他人との比較や他人の目で測ろうとすることから生まれます。
しかし、本当はどちらも、その価値を決めるのはあなた自身の心だけなのです。
一般的に、「努力」とは目標達成に向けた客観的な行動を指し、「頑張る」とはそこにかける精神的な力を指す、と区別されることがあります。
しかし、その区別自体に大きな意味はありません。
なぜなら、どんな小さな行動も、どんな精神的な葛藤も、その価値は他人が決めるものではないからです。
大切なのは、「頑張っているかどうか」も「努力しているかどうか」も、完全に主観的なものであると理解することです。
あなたが「今日は頑張った」と思えば、それは紛れもなく「頑張った」一日です。
あなたが「これは自分なりの努力だ」と感じるなら、それは尊い「努力」なのです。
他人からの評価や、世間一般の基準は一切関係ありません。
頑張りの定義は、自分で決める
「頑張る」とは、苦しみに耐えることではありません。
「努力」とは、大きな成果を出すことだけを指すのでもありません。
あなたがあなた自身の人生を、より良くしようと、ほんの少しでも考え、行動したのなら、それはすべて「頑張り」であり「努力」なのです。
この絶対的な事実を受け入れることが、自分を認めるための第一歩となります。
他人の物差しを捨て、自分の心に正直になること。
そこから、頑張るという言葉の呪縛から解放される道が始まります。
頑張れているかわからない、頑張った気がしない心理
一日を終えても、達成感ではなく、むしろ「自分は本当に今日、頑張れたのだろうか」「何も頑張った気がしない」という虚しさや不安感に包まれてしまう。
この心理の背景には、「頑張り」を「苦痛の量」や「他者からの評価」で測ってしまっているという、根深い思い込みがあります。
わたしたちは幼い頃から、「苦労は買ってでもしろ」「人より頑張らなければ認められない」といった価値観の中で育ってきました。
その結果、「辛い思いをしていない自分は、頑張っていないのではないか」「誰からも褒められないのなら、自分の頑張りには価値がないのではないか」と、無意識に考えてしまうのです。
しかし、本来の「頑張り」とは、苦痛や他者評価とは全く別の次元にあります。
すべての人は、ただ生きているだけで、見えないところで常に頑張っています。
朝、時間通りに起きること。
満員電車に乗ること。
苦手な人と当たり障りなく会話すること。
これらの一つひとつが、あなたの生命エネルギーを使った立派な「頑張り」なのです。
「頑張った気がしない」と感じるのは、あなたが怠けているからではありません。
むしろ、自分の中にあるその無数の「小さな頑張り」を、社会の大きな「頑張りの基準」と比べてしまい、見過ごしているだけなのです。
あなたは、あなたのままで、すでに毎日頑張っています。
その絶対的な事実を、まずは受け入れてみてください。
「頑張った気がしない」という感覚は、頑張りが足りないサインではなく、「自分を認める視点がずれている」という、あなたの心からのサインなのです。
みんな頑張ってるのに自分は頑張ってないと感じる理由
SNSを開けば、きらびやかな成果報告。
職場の同僚は、いつも忙しそうで、自分よりはるかに多くのことをこなしているように見える。
それに比べて自分は…。
このように「みんな頑張ってるのに、自分だけが頑張れていない」と感じてしまうのは、比較の土俵が根本的に間違っているからです。
わたしたちは、他人の「見える部分」と、自分の「見えない部分」を比較してしまいます。
他人のSNSの投稿や、職場で見せる姿は、その人の努力が最も形になった「成果」や「パフォーマンス」の部分です。
それは、言わば映画の予告編のような、最も輝かしい部分だけを切り取ったものです。
一方で、わたしたちは自分自身の、その成果に至るまでの葛藤や、サボってしまった時間、不安に苛まれた夜といった、泥臭い「舞台裏」のすべてを知っています。
編集されていない、ノーカットのドキュメンタリーです。
映画の予告編と、ドキュメンタリーの全編を比べて、「予告編の方が面白そうだ」と落ち込むのは、あまりにも不公平な比較だとは思いませんか?
「頑張り」は人それぞれ違う形をしている
そもそも、人によって「頑張る」という行為の形は全く異なります。
ある人にとっては、大勢の前でプレゼンをすることが頑張りです。
別のある人にとっては、一日誰とも話さずに心を平穏に保つことが頑張りです。
他人の物差しで、あなただけの頑張りを測ること自体に、意味はないのです。
「みんな頑張ってるのに」という言葉の主語は、本当に「みんな」でしょうか。
それは、あなたが無意識に作り上げた、理想化された「他人」という名の幻想です。
その幻想との戦いをやめた時、あなたは自分だけのユニークな頑張りを、初めて認められるようになるのです。
頑張りたいのに頑張れない原因とは?
「もっと頑張らなければ」という焦りや義務感はあるのに、どうしても心が動かない、体が鉛のように重い。
そんな「頑張りたいのに頑張れない」という状態は、決してあなたの意志が弱いからでも、怠けているからでもありません。
それは、あなたの魂が「進むべき方向が違うよ」と、懸命にあなたに教えてくれているサインなのです。
この現象の最も大きな原因は、あなたが「頑張ろう」としている対象が、あなたの心の底からの「好き」や「楽しい」といった感情と、全く結びついていないことにあります。
わたしたちは、「社会的に立派だから」「親が喜ぶから」「安定しているから」といった、他人軸の理由で自分の進む道を選んでしまうことがあります。
しかし、頭でいくらその選択を正当化しようとしても、心は正直です。
心がワクワクしないことに対して、継続的にエネルギーを注ぎ続けることは、人間にとって本質的に不可能なのです。
頑張れないのは、あなたのエネルギーが枯渇しているからではありません。
むしろ、間違った方向にエネルギーを使おうとするのを、あなたの心が全力で阻止してくれているのです。
これは、車のサイドブレーキを引いたまま、必死にアクセルを踏み込んでいるような状態です。
エンジンは空回りし、多大なストレスがかかるだけで、車は一向に前に進みません。
「頑張れない」は、自分と向き合うチャンス
もしあなたが「頑張りたいのに頑張れない」と感じているなら、自分を責めるのは今すぐやめましょう。
そして、代わりに自分にこう問いかけてみてください。
「私が本当に、心の底から楽しいと感じることは何だろう?」
その問いの答えこそが、あなたがサイドブレーキを解除し、軽やかに走り出すための鍵となります。
この状態が心身に不調をきたすほど続く場合は、無理せず専門家への相談も検討しましょう。(参考:厚生労働省「こころの耳」)
頑張れないのは、あなたがダメなのではなく、今の道が、あなたの本当の道ではないだけなのです。
なぜ頑張ってるのに辛いと感じてしまうのか
毎日身を粉にして働き、自分を犠牲にしてまで尽くしている。
客観的に見れば、あなたは間違いなく「頑張っている」はずです。
それなのに、なぜ心は満たされず、むしろ「辛い」という感情ばかりが募っていくのでしょうか。
その理由は非常にシンプルです。
それは、あなたの「頑張り」が、喜びではなく「自己犠牲」や「我慢」に基づいているからです。
わたしたちは、「頑張ることは、辛いことである」「楽をすることは、悪いことである」という価値観を、知らず知らずのうちに刷り込まれています。
そのため、「辛さ」を感じること自体を、「自分が頑張っている証拠だ」と勘違いしてしまうのです。
しかし、これは大きな間違いです。
「辛さ」と「頑張り」は、まったく違うものです。
辛くなくても頑張ってる人は多いです。
しかも、そのほうが良い結果を招いていることが多いです。
辛さを伴う頑張りは、あなたの生命エネルギーを消耗させるだけの行為です。
それは、自分に鞭を打ち、無理やり前に進ませている状態に他なりません。
短期的には成果が出たとしても、長期的には必ず心と体が悲鳴を上げ、燃え尽きてしまいます。
本当の意味で持続可能な「頑張り」とは、辛いものではなく、むしろ夢中でのめり込んでいる状態を指します。
好きなゲームに何時間も没頭したり、趣味の創作活動に時間を忘れて取り組んだりしている時、あなたはそれを「辛い」と感じるでしょうか?
むしろ、楽しさや充実感に満たされているはずです。
「頑張ってるのに辛い」と感じるのは、その頑張りの方向性が、あなたの魂の喜びとズレている決定的な証拠です。
辛いのは、あなたが頑張っているからです。
そして、その頑張りは、もはやあなたを幸せにはしません。
その苦しいだけの「頑張り」を手放し、あなたが心から「楽しい」と感じることにエネルギーを注ぎ始める時なのではないでしょうか。
頑張ってるのに結果が出ないのはなぜか
「誰よりも時間をかけている」
「自分なりに必死でやっている」
それなのに、なぜか思うような結果に結びつかない。
このうまくいかない状況の根本原因は、努力の「量」が足りないからではありません。
それは、あなたの「頑張り」が、心の底からの情熱や楽しさと結びついていないため、その努力が「空回り」してしまっているからです。
結果を出すために必要なのは、苦痛に満ちた長時間の労働ではありません。
むしろ、創造性や、柔軟な発想、そして人々を惹きつける魅力です。
そして、これらの要素は、私たちが義務感や恐怖心からではなく、「楽しい」「好きだ」というポジティブな感情で物事に取り組んでいる時にしか、生まれてこないのです。
例えば、嫌々書いている企画書と、心の底から「このアイデアは素晴らしい!」と信じて書いている企画書では、どちらが人の心を動かすでしょうか。
答えは明白です。
あなたの内なる情熱の欠如が、成果物の魅力の欠如として、そのまま表れてしまっているのです。
「疲れた=頑張った」という勘違い
アーティストのGACKT氏は、「多くの人は『疲れた』=『頑張った』と勘違いしている」と指摘しています。(引用元:新R25)
長時間働いて疲労困憊になることが目的ではなく、結果を出すことが目的のはずです。
結果の出ない頑張りは、自己満足の「疲労感」を生むだけであり、本質的な努力とは言えません。
あなたが今すぐやるべきことは、さらに頑張ることではありません。
むしろ、一度立ち止まり、「どうすれば、この作業をもっと楽しめるだろうか?」「この仕事の中に、自分がワクワクできる要素はないだろうか?」と、仕事の捉え方を変えることです。
努力の方向性を、「苦痛」から「楽しさ」へとシフトさせる。
その瞬間に、あなたのパフォーマンスは劇的に向上し、結果は後からついてくるはずです。
「自分が頑張ってるかわからない」状態から抜け出すには
- まずは目標の再確認~何のために頑張っているかわからない
- 本当に頑張っている人はどんな特徴がある?
- なぜ自分で頑張ってるという人がいるのか
- 「自分だけが頑張っている」という勘違いに注意
- 自分が努力してるのかわからない時の確認法
まずは目標の再確認~何のために頑張っているかわからない
「自分が頑張ってるかわからない」という深い霧の中から抜け出すための、最も確実な第一歩。
それは、「自分は一体、何のために、誰のために頑張りたいのか?」という、行動の源泉となる「動機」を再確認することです。
この動機こそが、あなたの進むべき道を照らす、強力な灯台の光となります。
「何のために頑張っているかわからない」という状態は、他人が設定した目標や、社会の価値観という名の地図を頼りに、自分の心が望んでいない航海に出ているようなものです。
それでは、いくら懸命にオールを漕いでも、虚しさが募るだけです。
ここで大切なのは、その動機が、他人から見て立派である必要は全くないということです。
あなたの心が、本当に「楽しい」「嬉しい」「心地よい」と感じるものであれば、根拠は何でも良いのです。
あなたの「楽しい」は何ですか?
- 自分のため
単純に、その行為自体が好きだから。知的好奇心が満たされるから。成長している実感が楽しいから。 - 誰かのため
愛する家族を笑顔にしたいから。困っている親友を助けたいから。尊敬する上司の役に立ちたいから。 - お金のため
たくさん稼いで、好きなものを買ったり、美味しいものを食べたりするのが楽しいから。経済的な安心感が心地よいから。
心理学でいう「内発的動機づけ」とは、外部からの報酬のためではなく、行動そのものから得られる満足感や喜びによって意欲が湧く状態を指します。(参考:Simply Psychology “Self-Determination Theory”)
あなたが「楽しい」と感じる動機を見つけることは、この最も強力な内発的動機づけに火をつけることに他なりません。
たとえば、漫画『ワンピース』のルフィは「海賊王になる」という夢のために冒険しています。しかし、彼が「辛いけど頑張っている」と意識して戦う場面はほとんどありません。仲間を守ることや、まだ見ぬ世界を旅すること自体が、彼にとって何より「楽しい」からです。
「頑張っているか」を考えるのではなく、自分が心から楽しい、面白いと思える目的のために夢中で行動すれば、どんな困難や苦労も「頑張り」ではなく、ワクワクする「冒険」の一部になるのです
どんな小さなことでも構いません。
あなたの心が本当に喜ぶ「なぜ?」を見つけ出すこと。
それさえ見つかれば、「頑張らなければ」という義務感は消え去り、あなたは自然と、その目標に向かって夢中で走り出しているはずです。
本当に頑張っている人はどんな特徴がある?
私たちが目指すべき、理想的な「頑張っている人」とは、一体どのような姿なのでしょうか。
それは、眉間にしわを寄せ、歯を食いしばって苦痛に耐えている人ではありません。
真の意味で「頑張っている人」とは、その行為に深く没頭し、もはや「頑張っている」という意識すら忘れてしまっている人のことです。
彼らの最大の特徴は、行動が「目的」と直結していることです。
彼らの「頑張ること」は目的じゃないんです。
彼らの目に見えているのは、その先にある「楽しい目標」だけです。
画家が絵を描くことに夢中になるように、アスリートが自己ベストの更新に没頭するように、彼らはプロセスそのものを楽しんでいます。
心理学でいうところの「フロー状態」に近いかもしれません。
また、彼らは他人からの評価に一喜一憂しません。
彼らの評価基準は、常に自分自身の内側にあります。
「昨日の自分より、今日の自分は少しでも成長できたか?」
これが唯一の関心事であり、他人がどう思うかは二の次です。
この内的な評価軸が、彼らにブレない強さと、継続する力を与えています。
そして最も重要な特徴は、自分の信念を大切にすることを怠らないことです。
彼らは、自分の信念に沿った行動こそが、最高のパフォーマンスを発揮するためのブレない軸となることを知っています。
信念に反して無理に自分を曲げることは、いずれ精神をすり減らし、目標達成から最も遠ざかる愚かな行為だと理解しているのです。
本当に頑張っている人は、傍から見ると、むしろ楽しそうで、余裕があるようにさえ見えます。
苦痛ではなく、楽しさや喜びを原動力に行動すること。
それこそが、私たちが目指すべき、新しい「頑張り」の姿なのです。
自分で頑張ってるという人の心理とは
あなたの周りにも、「最近、本当に頑張ってるんだよね」と、自らの努力を言葉にしてアピールする人がいるかもしれません。
彼らがそうした言動に出る背景には、「自分の頑張りを誰かに認めてほしい」という、切実な承認欲求が隠されています。
このタイプの人は、自分自身の内側で、自分の頑張りに対する確固たる自信や満足感を得られていません。
彼らにとっての「頑張り」は、まだ「楽しさ」や「夢中」の領域に達しておらず、依然として「我慢」や「自己犠牲」の段階にあるのです。
そして、その我慢や自己犠牲に対して、「誰かから褒められたい」「すごいねと言われたい」という見返りを求めることで、心のバランスを保とうとしています。
つまり、彼らの「頑張ってる」という言葉は、自信の表れではなく、むしろ「私のこの辛さを、誰か気づいて、認めてください」という、承認への渇望のサインなのです。
彼らは、自分の価値基準を他人に委ねてしまっているため、他者からの評価がなければ、自分の努力を価値あるものだと感じることができないのかもしれません。
勘違いとの境界線
中には、プロセスばかりを重視し、結果が出ていないにもかかわらず「自分は頑張っている」と勘違いしている人もいます。
これは、努力すること自体が目的化し、自己満足に陥っている状態です。
本当に頑張っている人は、結果に対しても真摯に向き合います。
もし、あなたが「自分で頑張ってるという人」に出会ったら、その言葉の裏にある承認欲求を理解しつつも、安易に同調する必要はありません。
「そうなんですね、お疲れ様です」と、事実として受け止めるに留めるのが、大人の対応と言えるでしょう。
「自分だけが頑張っている」という勘違いに注意
「自分が頑張ってるかわからない」という自己不信とは対極にあるように見えて、実は同じ根から生じているのが、「この会社(チーム)では、自分だけが必死に頑張っている」という、独善的な勘違いです。
この思考は、周囲への不満や軽蔑を生み出し、人間関係を悪化させ、結果的に自分自身を孤立させてしまう、非常に危険な罠です。
なぜ、このような勘違いが生じるのでしょうか。それは、自分の「頑張り」の物差しが、あまりにも狭く、自己中心的になっているからです。
私たちは、自分自身の苦労や費やした時間は、痛みを伴って直接的に体験できるため、非常に鮮明に、そして過大に記憶しています。
しかし、他人が私たちの見えないところで行っている努力や、内に秘めた葛藤は、想像するしかありません。
例えば、あなたが「夜遅くまで残業すること」を頑張りの基準にしているとします。
その物差しで見れば、定時でさっさと帰る同僚は「楽をしている」「頑張っていない」ように見えるでしょう。
しかし、その同僚は、あなたが見ていない早朝に出社して集中して仕事を片付けたり、帰宅後に数時間、スキルアップのための勉強をしたりしているのかもしれません。
頑張りの形は、人それぞれ全く違うのです。
「俺だけが頑張っている」と感じ始めたら、それはあなたの視野が極端に狭くなっている危険なサインです。
そして、その感情は、あなた自身の頑張りが「楽しい」ものではなく、「辛い自己犠牲」になっていることの証拠でもあります。
本当に自分のやるべきことに夢中になっている人は、他人が頑張っているかどうかなど、気にする暇もありません。
一度、他人への評価をやめてみましょう。
そして、「他の人も、自分とは違う形で、見えないところで頑張っているのかもしれない」と想像力を働かせること。
その視点を持つだけで、あなたの心は驕りから解放され、より健全な協力関係を築けるようになるはずです。
自分が努力してるのかわからない時の確認法
「頑張っているかどうかなんて、主観でしかないと言われても、やっぱり自分の立ち位置が分からなくて不安だ」。
そう感じるのは、とても自然なことです。
そんな時、他人や社会の物差しではなく、自分自身の心と対話し、自分の状態を確認するための、いくつかの具体的な方法があります。
従来の「努力の確認法」が、行動のチェックリスト(To-Doリスト)だったとすれば、新しい確認法は、感情のチェックリスト(Feelリスト)です。
重要なのは「何をしたか」ではなく、「どう感じたか」です。
「夢中になれた瞬間」を探す
一日を振り返り、「時間を忘れるほど、その作業に没頭していた瞬間」はなかったか、自分に問いかけてみてください。
たとえそれが5分でも10分でも構いません。
「ああ、あの時、集中してたな」と感じる瞬間があったなら、それはあなたが自分の「楽しい」という方向に正しく進んでいる証拠です。
「ポジティブな感情」を数える
今日一日の中で、「嬉しい」「楽しい」「面白い」「達成感がある」「スッキリした」といった、ポジティブな感情が湧き上がった瞬間を思い出せるだけ書き出してみましょう。
「クライアントに感謝された」
「難しい計算が解けた」
「綺麗な資料が作れた」
どんな些細なことでも構いません。
このリストの数が、あなたの「充実度」の指標となります。
行動ログではなく「感情日記」
何をしたかを記録するのではなく、「その時どう感じたか」を記録する「感情日記」も非常に有効です。
「午前中の会議は、退屈で辛かった」
「午後の〇〇さんとの雑談は、新しい発見があって楽しかった」
このように記録を続けることで、自分がどんなこと(あるいは、どんな人といること)に喜びを感じるのかが、客観的に見えてきます。
「自分が努力してるのかわからない」と不安になったら、行動の量ではなく、心の動きを観察する。
そこに、あなたが本当に進むべき道と、あなただけの「頑張りの証」が、はっきりと記されているはずです。
「自分が頑張ってるかわからない」あなたへ
「自分が頑張ってるかわからない」という、深く根源的な悩みについて、その原因から、全く新しい捉え方までを解説してきました。
「自分が頑張ってるかわからない」と、真剣に自分と向き合っているあなたは、その時点でもう、誰よりも深く、そして誠実に、自分の人生を生きようと「頑張っている」のです。
どうか、そんな尊い自分自身を、今日だけは、心の底から認めてあげてください。
最後に、今まさにその苦しみと迷いの中にいるあなたへ、最も大切なメッセージを、改めてリスト形式でまとめます。
- 「頑張る」は苦痛に耐えることではなく、本来は夢中になること
- 頑張っているかどうかは主観であり、あなたが決めれば良い
- 頑張った気がしないのは、頑張りが足りないのではなく、自分を認める物差しが間違っているだけ
- 他人との比較は、相手の予告編と自分の全編を比べる不公平なゲーム
- 頑張りたいのに頑張れないのは、心が「そっちじゃないよ」と教えてくれているサイン
- 頑張りが辛いのは、その方向があなたの「楽しい」とズレている証拠
- 結果が出ないのは、情熱の欠如がパフォーマンスを下げているから
- まず再確認すべきは目標ではなく、自分が「楽しい」と感じる動機
- 本当に頑張っている人は、頑張っていることを忘れるほど没頭している
- 「自分で頑張ってる」と言う人は、まだ自分の頑張りを信じられていないのかもしれない
- 「自分だけが頑張っている」と感じたら、視野が狭くなっている危険信号
- 努力の確認は「何をしたか」ではなく「どう感じたか」で行う
- すべての人は、ただ生きているだけで、十分に頑張っている
- これ以上頑張る必要はない。ただ、あなたが楽しいと思うことをすればいい
- その楽しさが、あなたを最高の未来へと導いてくれる