「見返りを求めるのは当たり前」
「見返りを求めてはいけない」
「見返りばかり求めてると不幸になる」
世間一般では、「見返り」についていろいろ言われていますが、・・・本当の所はどうなんでしょうか?
そもそも見返りを求めるとは何か、それは良いことなのか、それとも悪いことなのでしょうか。
なぜ見返りを求めてはいけないのか、その理由を知ると、見返りを求める人の本当の心理が見えてきます。
見返りを求める人を嫌いだという人もいますし、見返りを求める人は悲しい末路を辿ると言われますが、本当なのでしょうか。
特に恋愛において、見返りばかり求めていると、悲惨な結末を迎えることが多いようです。
この記事では、「見返りを求めるな」という教えの真意から具体的な対処法までを解説します。
- 「見返りを求める心」が生まれる心理的な理由
- 期待を手放し、人間関係のストレスを減らす方法
- 「与える喜び」で自分を満たす新しい思考法
- アドラー心理学に学ぶ、心が自由になるためのヒント
「見返りを求めるのは当たり前」なの?苦しい心理の正体
- 「見返りを求めるとは」何か、その定義
- 見返りを求めるのは悪いこと?という葛藤
- 健全な「ギブアンドテイク」との違いは?
- 見返りを求める人の根本的な心理とは
- なぜ見返りを求めてはいけないのか
- 恋愛で特に苦しくなる見返りの期待
- 見返りを求める人の悲しい末路
「見返りを求めるとは」何か、その定義
まず、「見返りを求める」とは具体的にどういう状態を指すのでしょうか。
具体的には、次のような気持ちが典型例です。
「プレゼントをあげたのだから、自分の誕生日にもくれるはず」
「相談に乗ってあげたのだから、私が困っている時も助けてくれるべき」
「あの仕事をやってあげたのだから、感謝はもちろん、お返しもあるはず」
テンプレートにすると、「〇〇してあげたのだから、〇〇してくれるはず」という理論です。
完璧な、100%が約束されたギブアンドテイクです。
もちろん、社会生活においてお互いに助け合うことは大切です。
しかし、ここでの「見返りを求める」とは、相手の自発的な感謝や行動を待つのではありません。
「与えたのだから、返ってくるのが当たり前だ」という一種の権利意識や取引感覚に近いものを指します。
この感覚が、人間関係の苦しさを生む入り口になってしまうのです。
見返りを求めるのは悪いこと?という葛藤
「見返りを求めてしまう自分は、心が狭いのではないか…」
多くの人が、このような罪悪感や自己嫌悪にも悩んでいます。
私たちは、「無償の愛」や「見返りを求めない優しさ」を理想的なものとして教えられてきました。
そのため、期待してしまう自分を「未熟だ」「わがままだ」と責めてしまいがちです。
しかし、「自分も大切にされたい」と感じること自体は、非常に人間的で自然な感情です。
問題なのは、その感情そのものではありません。
問題は、その期待が満たされなかった時に、過度な失望や怒りを覚え、相手や自分を責めてしまうという「反応の仕方」にあるのです。
まずは「見返りを求めてしまう気持ち」がある自分を、ありのままに認めてあげるところから始めましょう。
健全な「ギブアンドテイク」との違いは?
「見返りを求めない方がいいと言っても、一方的に与え続けるのは不公平では?」と感じるかもしれません。
ここで重要になるのが、「見返りを求める」ことと、健全な「ギブアンドテイク」との違いを理解することです。
見返りを求める(不健全) | ギブアンドテイク(健全) | |
---|---|---|
動機 | 自分の不安や欠乏感を埋めるため。「与える」ことが「得る」ための手段になっている。 | 相手との信頼関係を育むため。お互いを尊重し、支え合いたいという気持ち。 |
期待の質 | 「こう返してくれるべき」という硬直した期待。期待通りでないと怒りや失望に変わる。 | 「何か返してくれたら嬉しいな」という柔軟な期待。相手の状況や気持ちを尊重する。 |
関係性 | 貸し借りのような取引関係。心が窮屈になる。 | 信頼と感謝に基づいた対等な関係。心が豊かになる。 |
健全なギブアンドテイクは、お互いを思いやる気持ちから生まれる自然なキャッチボールです。
一方で、見返りを求める心理は、「私が投げたボールを、私が望む形で投げ返しなさい」という一方的な要求に近いのです。
善意の気持ちが、取引とか契約になってしまってるんです。
見返りを求める人の根本的な心理とは
では、なぜ私たちは不健全な「見返り」を求めてしまうのでしょうか。
その根底には、いくつかの共通した深層心理が隠されています。
見返りを求める心理の4つの原因
- 自己肯定感の低さ
「ありのままの自分には価値がない」と感じているため、他者に尽くすことで自分の価値を確認しようとします。相手からの感謝や評価という「見返り」がなければ、自分の存在価値を感じられないのです。 - 愛情・承認欲求の渇望
「自分は愛されている」「大切にされている」という実感を、相手からの具体的な行動によって確かめようとします。見返りは、愛情の証明書のようなものなのです。 - 自己犠牲の代償
自分の気持ちを抑え、「相手のために」と我慢や無理を重ねていると、心の中に「これだけ我慢したのだから、報われて当然だ」という不満が溜まり、その代償として見返りを求めてしまいます。 - 過去の経験
幼少期に「良い子でいなければ愛されない」という経験をしたなど、条件付きの愛情の中で育った場合、大人になっても「何かを与えなければ、何も得られない」という思い込みが抜けにくいことがあります。
これらの心理は、「自分の心の穴を、他者からの見返りで埋めてほしい」というサインとも言えます。
なぜ見返りを求めてはいけないのか
「見返りを求めない方が楽」とはよく言われますが、それはなぜでしょうか。
見返りを求めることが、結果的に自分自身を苦しめてしまう3つの理由があります。
- 相手に振り回されるから
- 人間関係が悪化するから
- 際限なく不満が生まれるから
相手の反応に振り回され、心が不安定になる
見返りを期待すると、自分の心の状態を相手に委ねてしまうことになります。
相手が期待通りに反応してくれれば満足しますが、そうでなければ失望したり、怒りを感じたりと、気分が大きく揺さぶられます。
自分ではコントロールできない他人の言動によって一喜一憂するため、心が常に不安定な状態に置かれてしまいます。
ラインの既読・未読スルーと同じ状態です。
過度な期待が人間関係を悪化させる
「これだけしてあげたのに」という態度は、言葉にしなくても相手に伝わり、無言のプレッシャーや罪悪感を与えてしまいます。
相手にとって、あなたの親切が感謝ではなく「返さなければいけない重荷」に変わってしまうのです。
このような貸し借りのような関係は、お互いにとって居心地が悪く、次第に関係がギクシャクする原因となります。
際限なく不満が生まれ、常に満たされなくなる
見返りを求める心は、一度満たされても決して満足することがありません。
もし期待通りの反応が返ってきたとしても、次は「もっとこうしてほしい」と、要求がさらにエスカレートしがちです。
その結果、常に「何かが足りない」という欠乏感を抱え続けることになり、心が満たされる瞬間は永遠に訪れなくなってしまいます。
つまり、見返りを求める行為は、幸せになるための手段のはずが、いつのまにか自分を不幸にする原因そのものになってしまうのです。
恋愛で特に苦しくなる見返りの期待
この「見返りを求める心理」が、最も顕著に、そして時に破壊的に現れるのが恋愛の場面です。
親密な関係だからこそ、期待はより大きく、裏切られた時の痛みもより深くなります。
「こんなに好きなのだから、同じくらい好きでいてほしい」
「尽くしているのだから、大切にされて当たり前だ」
といった期待は、相手の自由を縛る鎖になります。
相手が少しでも期待と違う行動を取ると、「愛情が足りない」と不安になり、相手を責めたり、試すような行動をとったりしてしまいます。
この悪循環が、お互いを疲弊させ、愛情を冷めさせてしまう大きな原因となるのです。
参考:こころの耳(厚労省)
見返りを求める人の悲しい末路
見返りを求める生き方を続けていくと、長期的にはどのような結末を迎えやすいのでしょうか。
それは、皮肉にも本人が最も恐れている「孤独」です。
常に「ギブアンドテイク」の損得勘定で人間関係を測っていると、周りの人々は次第に疲弊し、離れていきます。
「あの人といると、何かを要求されているようで疲れる」と感じさせてしまうからです。
結果として、誰もが当たり障りのない表面的な付き合いしかしてくれなくなり、心から信頼できる関係を築くことが難しくなります。
最終的には、与えても見返りがないことに失望し続け、他者を信じられなくなり、自ら人間関係から孤立してしまう…
それが、見返りを求め続けた人が陥りがちな、悲しい末路と言えるかもしれません。
「見返りを求めるのは当たり前」から自由になる方法
- 「見返りを求めるな」という教えの真意
- アドラー心理学に学ぶ「課題の分離」
- 「当たり前」を「ありがとう」に変える感謝の習慣
- 見返りを求める自分が嫌いな時の対処法
- 与える喜びで完結し、見返りはボーナスと考える
- 究極の解決策は自分で自分を褒めること「わたしってすごい!」
- 「自分で自分を褒める」ための具体的な方法
- まとめ:「見返りを求めるのは当たり前」という呪縛を解く
「見返りを求めるな」という教えの真意
「見返りを求めるな」という言葉は、しばしば「自己犠牲になれ」「損をしろ」という意味に誤解されがちです。
しかし、その本当の意味は全く異なります。
これは他人のためではなく、究極的には「自分自身が楽に、自由になるため」の教えなのです。
見返りを期待している限り、あなたの心の状態は相手の反応に依存してしまいます。
つまり、自分の感情のコントロール権を、他人に明け渡してしまっている状態です。
「見返りを求めるな」とは、「自分の心の平穏を、他人の気まぐれに左右させるな」という、自分を大切にするためのメッセージなのです。
ガンジーやマザー・テレサのような偉人たちも、見返りを求めなかったからこそ、多くの人に影響を与えられたのかもしれませんね。
アドラー心理学に学ぶ「課題の分離」
期待を手放すための非常に強力なツールが、アドラー心理学の「課題の分離」です。
あなたが誰かに親切にするかどうかは、「あなたの課題」です。
しかし、相手がそれに感謝するか、お返しをするか、あなたをどう思うかは、すべて「相手の課題」です。
それは、あなたにはコントロールできない領域なのです。
私たちは、この境界線を越えて「相手の課題」にまで踏み込もうとするから苦しくなります。
自分がコントロールできる「自分の行動」にだけ集中し、コントロールできない「相手の反応」は手放す。
この線引きができるようになると、人間関係の悩みは驚くほど軽くなります。
「当たり前」を「ありがとう」に変える感謝の習慣
見返りを求める心の対極にあるのが「感謝する心」です。
「〇〇してくれて当たり前」と思っていると、してもらえなかった時に不満が生まれます。
しかし、普段から「〇〇してくれるなんて、ありがたい」と感じていれば、すべての出来事が感謝の対象に変わります。
感謝の習慣を身につけるには、一日の終わりに、「感謝できること」を3つ書き出すのがおすすめです。
「同僚が仕事を手伝ってくれた」「店員さんが笑顔だった」など、どんな些細なことでも構いません。
これを続けると、「ないもの(見返り)」ではなく「あるもの(恵み)」に意識が向くようになり、自然と見返りを求める心が静まっていきます。
見返りを求める自分が嫌いな時の対処法
それでも、ふと見返りを求めてしまう自分に気づき、嫌悪感を抱いてしまうこともあるでしょう。
そんな時は、自分を責める必要は全くありません。
まずは、「ああ、今、自分は認めてほしかったんだな」「大切にされたいと感じているんだな」と、その気持ちの奥にある純粋な欲求を、否定せずにただ認めてあげましょう。
見返りを求めてしまうのは、あなたが冷たい人間だからではなく、それだけ心が満たされていない、疲れているというサインなのです。
自分を責める代わりに、「疲れているんだね、少し休もうか」「自分で自分を大切にしてあげよう」と、優しく声をかけてあげてください。
自分を嫌うのではなく、自分の心の声に耳を傾けることが、根本的な解決につながります。
与える喜びで完結し、見返りはボーナスと考える
見返りを手放すための、最もシンプルで強力な考え方がこれです。
そして、もし相手から何かお返しがあれば、それは「予想外の嬉しいボーナス」と考えるのです。
誰かのために行動した瞬間、「ああ、良いことをしたな」と、そこで自分の心を満足させます。
その時点で、あなたの行動の目的は達成され、完結しているのです。
この考え方ができれば、相手からの反応は一切気にならなくなります。
返ってこなくてもマイナスはなく、返ってきたらプラスになるだけ。
この心の状態こそが、人間関係における最強の安定剤と言えるでしょう。
究極の解決策は自分で自分を褒めること「わたしってすごい!」
見返りを求めてしまう根本原因は、自己肯定感の低さ、つまり「自分で自分を認められていない」ことです。
他者からの評価という「外側の報酬」でしか、自分の価値を測れない状態です。
であるならば、究極の解決策は一つ。
誰かのために何か行動をしたら、相手からの「ありがとう」を待つ前に、まず自分で自分に「よくやった!」「私ってすごい!」と心からの賛辞を送りましょう。
この「セルフ承認」こそが、見返りを求める心を根っこから断ち切るための最も重要な習慣です。
「わたしってすごい」法
これは、どんなときでも、いつでも、仕事でもなんでも、効果があります。
何かしたら、「わたしってすごい」と心の中で言うだけでいいんです。
「〇〇のため」「やらないといけない」「義務だから」などと、余計なことは考えずに、手を動かしながら「わたしってすごい!」と唱え続けて下さい。
もっと効果を上げるには、次のように思ってください。
「わたしってすごい!こんなことする人は、わたしだけ!こんなこと、わたししかやらないよね。わたしってさいこうだよ。だれもやらないことをやってるんだから」
何回かやっていくうちに、やること自体に楽しさを覚えてくるはずです。
「自分で自分を褒める」ための具体的な方法
「わたしってすごい!」法を信じられない方のために、別な方法も紹介します。
最初はめんどくさいかもしれませんが、具体的な方法を知れば、誰でも実践できます。
できたこと日記をつける
一日の終わりに、今日できたことを大小問わず3つ書き出します。
「朝、時間通りに起きられた」「難しいメールの返信ができた」など、どんな些細なことでも構いません。
アファメーションを唱える
鏡に向かって、あるいは心の中で、「私はよくやっている」「私は価値のある人間だ」といった肯定的な言葉を自分に言い聞かせます。
言葉の力が、自己認識を少しずつ変えていきます。
小さなご褒美を用意する
何かをやり遂げたら、相手からの評価とは関係なく、自分で自分に小さなご褒美をあげましょう。
好きなスイーツを食べる、少し高い入浴剤を使うなど、「自分で自分をほめる」ことが大切です。
この習慣を続けることで、あなたの心の中にある「承認のバケツ」は、あなた自身の手で満たされていきます。
バケツが満たされれば、他者から水を入れてもらう必要はなくなるのです。
まとめ:「見返りを求めるのは当たり前」という呪縛を解く
「見返りを求めるのは当たり前」という気持ちは、人間として自然な部分もありますが、それに囚われすぎると、自分自身を苦しめる呪縛となります。
その呪縛を解き、心を自由にするためのポイントを最後にまとめます。
- 見返りを求める心理の根底には自己肯定感の低さがある
- 見返りを求め続けると人間関係が悪化し最終的に孤立する
- 健全なギブアンドテイクと一方的な見返りの要求は違う
- アドラー心理学の課題の分離でコントロールできない他者の反応は手放す
- 「当たり前」を「ありがとう」に変える感謝の習慣を持つ
- 見返りを求める自分を嫌いにならずその奥の欲求を認める
- 与える行為そのものを喜びとしそこで完結させる
- 相手からのお返しはラッキーなボーナスと考える
- 究極の解決策は他者の評価を待たずに自分で自分を褒めること
- できたこと日記や小さなご褒美でセルフ承認の習慣をつける
- 心の承認のバケツを自分で満たすことができれば期待は消える
- 見返りを手放すとは損をすることではなく自由になること
- あなたは他人の反応に振り回される必要はない
- 自分の価値は自分で決めることができる